朝日日本歴史人物事典 「井沢為永」の解説
井沢為永
生年:承応3(1654)
江戸中期の農政家,治水家。通称弥惣兵衛。紀伊国那珂郡溝口村(和歌山県海南市)の生まれ。算術,土木に通じ紀州(和歌山)藩に登用され,約30年間にわたり治水土木工事に従事,成果をあげる。その後紀州藩主から8代将軍に就任した徳川吉宗により,享保7(1722)年に200石の幕臣として登用された。以後関東各地,近江,播磨その他などで新田開発や河川の改修などを行った。このうち13年に完成した武蔵国足立郡の見沼開発,見沼代用水の開削は有名。10年に500石となり,16年勘定吟味役に就任,20年美濃郡代を兼務した。元文2(1737)年両職を辞し,翌年没した。
(大石学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報