井沢為永(読み)いざわ・ためなが

朝日日本歴史人物事典 「井沢為永」の解説

井沢為永

没年:元文3.3.1(1738.4.19)
生年:承応3(1654)
江戸中期の農政家,治水家。通称弥惣兵衛。紀伊国那珂郡溝口村(和歌山県海南市)の生まれ。算術,土木に通じ紀州(和歌山)藩に登用され,約30年間にわたり治水土木工事に従事,成果をあげる。その後紀州藩主から8代将軍に就任した徳川吉宗により,享保7(1722)年に200石の幕臣として登用された。以後関東各地,近江,播磨その他などで新田開発や河川改修などを行った。このうち13年に完成した武蔵国足立郡の見沼開発,見沼代用水の開削は有名。10年に500石となり,16年勘定吟味役に就任,20年美濃郡代を兼務した。元文2(1737)年両職を辞し,翌年没した。

(大石学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井沢為永」の解説

井沢為永 いざわ-ためなが

井沢弥惣兵衛(いざわ-やそべえ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の井沢為永の言及

【井沢弥惣兵衛】より

…江戸中期の武士。名は為永。はじめ紀州藩士,のち8代将軍徳川吉宗に召されて旗本。勘定から勘定吟味役となり,晩年には美濃郡代を兼務。蔵米200俵取りで,のち300俵加増される。紀州流の治水技術者で普請役とともに,幕府の新田開発や川除(かわよけ)・用悪水普請の指導に当たる。武蔵の見沼(見沼代用水),下総の飯沼・手賀沼,越後の紫雲寺潟新田などの干拓で有名。新田検地条目の制定にも関与した。【大谷 貞夫】…

※「井沢為永」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android