井沢弥惣兵衛(読み)イザワヤソベエ

デジタル大辞泉 「井沢弥惣兵衛」の意味・読み・例文・類語

いざわ‐やそべえ〔ゐざはやソベヱ〕【井沢弥惣兵衛】

[1654~1738]江戸中期治水家。紀伊の人。名は為永。紀州藩士だったが藩主徳川吉宗将軍になると幕臣となり、全国の水利事業・新田開発活躍木曽川の治水事業や武蔵見沼代用水開削かいさくで有名。

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改訂新版 世界大百科事典 「井沢弥惣兵衛」の意味・わかりやすい解説

井沢弥惣兵衛 (いざわやそべえ)
生没年:1654-1738(承応3-元文3)

江戸中期の武士。名は為永。はじめ紀州藩士,のち8代将軍徳川吉宗に召されて旗本勘定から勘定吟味役となり,晩年には美濃郡代を兼務。蔵米200俵取りで,のち300俵加増される。紀州流の治水技術者で普請役とともに,幕府の新田開発や川除(かわよけ)・用悪水普請の指導に当たる。武蔵の見沼(見沼代用水),下総の飯沼・手賀沼越後紫雲寺潟新田などの干拓で有名。新田検地条目制定にも関与した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「井沢弥惣兵衛」の意味・わかりやすい解説

井沢弥惣兵衛
いざわやそべえ
(1663―1738)

江戸時代屈指の治水家。紀伊国(和歌山県)那賀(なが)郡溝口村に生まれる。名は為永(ためなが)。紀州藩士、のち徳川吉宗(よしむね)の将軍就任後幕臣となる。1722年(享保7)、幕府の勘定所に召され、25年勘定吟味役格、31年勘定吟味役、35年美濃(みの)国(岐阜県)郡代兼任。37年(元文2)役を辞し寄合(よりあい)となる。吉宗に重用され、享保(きょうほう)の改革(1716~45)において、治水、農業開発に敏腕を発揮、河川を中心とする土木技術に多くの新機軸を開発し、紀州流の開祖となった。とくに利根(とね)川中流部から取水の見沼代(みぬまだい)用水(埼玉県)60キロメートルは1728年(享保13)に完成、武蔵(むさし)国の農業開発、水運に至大な貢献をした代表的事業である。木曽(きそ)川三川分流の宝暦(ほうれき)治水(1754)も彼の設計である。

[高橋 裕]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「井沢弥惣兵衛」の意味・わかりやすい解説

井沢弥惣兵衛
いざわやそべえ

[生]寛文3(1663).紀伊,溝口
[没]元文3(1738).3. 江戸
江戸時代中期の治水家。紀伊国那賀郡溝口村の人,名は為永,弥惣兵衛は通称。享保7 (1722) 年8代将軍徳川吉宗に召されて幕府勘定所に出仕,新田検地や諸国の河川工事にあたった。同 12年武蔵国見沼代用水路の開発に着手,翌年完成,灌漑高は約 15万石,303ヵ村に及んだ。以後も多く治水のことにあたり,同 16年勘定吟味役,同 20年美濃郡代兼務,元文2 (37) 年辞職し寄合となった。見沼代用水路の柴山伏越 (ふしこし) ,掛渡樋 (かけどい) ,通船堀閘門 (つうせんぼりこうもん) などの構造は当時の技術水準からみて驚くべきもので,紀州流土木工法の祖として土木史上の功績は顕著なものがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井沢弥惣兵衛」の解説

井沢弥惣兵衛 いざわ-やそべえ

1654-1738 江戸時代前期-中期の武士,治水家。
承応(じょうおう)3年生まれ。紀伊(きい)和歌山藩士であったが,藩主徳川吉宗が将軍になると享保(きょうほう)7年幕臣となり,16年勘定吟味役。のち美濃(みの)郡代をかねる。治水事業や新田開発に成果をあげ,武蔵(むさし)見沼代用水(埼玉県)の開削で知られる。元文3年3月1日死去。85歳。名は為永(ためなが)。

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世界大百科事典(旧版)内の井沢弥惣兵衛の言及

【手賀沼】より

…71年(寛文11)には江戸町人の請負で干拓工事が着手され,約300haの耕地を得たが,数回にわたる洪水で破壊された。1730年(享保15)には勘定吟味役井沢弥惣兵衛為永の建議などにより,沼中央に横堤を築いて上下に分断し,下沼を干拓して180haの耕地を得,その後の検地によりさらに45haの増加をみた。だが頻繁な洪水により安定せず,1785年(天明5)には老中田沼意次の下で幕府の手により大規模な干拓工事が実施されたが,利根川大洪水により諸施設が破壊され,同時に行われていた印旛沼干拓工事とともに中断された。…

【見沼代用水】より

…江戸幕府は享保改革の一政策として,1722年(享保7)に日本橋に高札を掲げ新田の開発を奨励し,町奉行大岡忠相(ただすけ)に武蔵野の開発を命じ,勘定奉行筧正鋪(かけいまさはる)に新田方掛を新設させた。新田方は翌年には勘定組頭2名と勘定5名が発令され,その中に紀州から呼ばれた井沢弥惣兵衛為永がいた。井沢らはおもに湖沼の干拓に当たったことで知られ,武蔵の見沼,下総の手賀沼や飯沼,越後の紫雲寺潟などの干拓事業が有名である。…

【美濃郡代】より

…堤方役所は世襲の地役人12名からなり,交代寄合美濃衆高木三家の家臣の川通掛とともに木曾三川(木曾川,長良川,揖斐川)の治水にあたった。歴代には岡田将監善同(1613‐31),岡田将監善政(1631‐60)をはじめ,辻六郎左衛門守参(もりみつ)(1699‐1718)や井沢弥惣兵衛為永(1735‐37)がいる。 美濃郡代に関する文書,記録は大部分が散逸したが,岐阜県歴史資料館,名古屋市蓬左文庫に一部が保存され,岐阜県立図書館《郷土資料目録》,蓬左文庫《蓬左文庫古文書古絵図目録》に目録化されている。…

※「井沢弥惣兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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