世界大百科事典(旧版)内の井関宗鱗の言及
【織物】より
…西陣機業の基礎はしだいに固まっていったが,その内容は昔のままの状態ではなかった。紋羅のような精妙な技術は容易に復活しえなかったが,一方では弘治年間(1555‐58)に大舎人座中の井関宗鱗が練嶋薄板に文様を織り加えた新しい織物を開発したと伝えているように,新製品の考案に努力が向けられていった。堺に伝えられた中国明の唐織,金襴,緞子,繻子をはじめ紗綾,縮緬などの製織技術もしだいに西陣へもたらされ,それらの新製品がぞくぞくと生産され始めたのである。…
※「井関宗鱗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」