世界大百科事典(旧版)内の《仮名目録追加》の言及
【今川仮名目録】より
…戦国大名今川氏の制定した分国法。守護から戦国大名への脱皮に成功した今川氏親が1526年(大永6)制定した《仮名目録》と,氏親の子義元が53年(天文22)制定した《仮名目録追加》から成る。条数は前者は33ヵ条(今川記本)と31ヵ条(黒川本)のものが伝存するが,後者は21ヵ条から成る。…
【今川義元】より
…60年駿遠三の大軍を率いて西上の途につき尾張に侵入したが,桶狭間に在陣中織田信長の奇襲にあい討死した(桶狭間の戦)。義元は父氏親の政策を発展させ,領国内に繰り返し検地を実施するとともに,《仮名目録追加》21ヵ条を制定し,戦国大名今川氏の最盛期を築いた。今川仮名目録【加藤 益幹】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」