伊作氏(読み)いさくうじ

世界大百科事典(旧版)内の伊作氏の言及

【日置荘】より

…また残る日置郷内のうち北郷内30町は同じく平安時代末までに宇佐弥勒寺領荘園として立券され,これも同じく日置荘と呼ばれ,日置を名字とする大江姓の本領主が下司として存続した。しかし,1186年惟宗(これむね)(島津)忠久が鎌倉幕府から薩摩・大隅・日向3国にまたがる巨大荘園島津荘の惣地頭に任じられて以後,その一族の伊作氏が,島津荘内日置荘に地頭として君臨し,在来の荘園領主(本家摂関家の下に立つ領家興福寺一乗院)や下司たる本領主らと抗争をくりかえし,14世紀初頭までに和与・下地中分を通し着実に現地支配権を拡大した。また,隣接する弥勒寺領日置荘にも,御家人となった本領主を介して同様の圧迫を加え,やがて南北朝以降には両荘ともに島津本宗家の全面的な支配の下におかれ,名称として荘名は残るものの荘園としての実体は消滅した。…

※「伊作氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android