伊木伊織(読み)いきいおり

世界大百科事典(旧版)内の伊木伊織の言及

【池田騒動】より

…輝澄は1615年(元和1)宍粟藩3万8000石を領し,31年弟輝興の旧領佐用藩2万5000石を加増されたので家臣の増強を図り,寵臣菅友拍の推挙で新たに大坂浪人小川四郎右衛門を家老に登用した。たまたま旗奉行別所六左衛門の小頭某をめぐる金銭問題のもつれが発端となり,旧来からの家老伊木伊織や物頭衆(11人)らと,新参家老小川と結んだ菅・別所らの両派に分かれて家中の権力騒動に発展し,物頭衆とその同志100余人が脱藩した。幕府は40年7月裁断し,首魁とされた伊木父子および脱藩した物頭衆父子らに切腹を命じ,菅父子は死罪,小川は他家預けとなった。…

※「伊木伊織」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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