世界大百科事典(旧版)内の佐久良薑園の言及
【佐久良東雄】より
…幕末の志士,歌人。常陸国新治郡浦須村の人。静馬,靱負と称し薑園(きようえん)と号した。師の康哉法師から《万葉集》を習う。水戸の志士と交わるに及び還俗して国事に奔走,1860年の桜田門外の変に連座し,江戸の獄に移されたが絶食して死んだ。その遺言状は烈々たる精神にあふれている。〈今聞きていまし死ぬともうれしきは上なき神の道にぞありける〉(《薑園歌集》)。【竹下 数馬】…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」