朝日日本歴史人物事典 「佐藤土平治」の解説
佐藤土平治
生年:生年不詳
江戸中期,天明7(1787)年12月22日夜から翌年1月6日夜にかけて,米価騰貴から相模国津久井県・愛甲郡で起きた酒造屋打ちこわしの首謀者のひとり。相模国津久井県牧野村(神奈川県藤野町)の組頭茂兵衛の伜で,専蔵と称した。土平治という名には「民を平に治める」という意味があり,打ちこわし以前から土平治と自称し村方騒動でも活躍。この打ちこわしは,首謀者の名を取ってのちに土平治騒動といわれる。土平治は牢死したが,死後さらに死罪を申し渡され,青野原村(神奈川県津久井町)の伴蔵こと重郎兵衛と同村の利左衛門が同様に死罪となる。<参考文献>川鍋定男「天明期の百姓一揆の特質と構造」(『関東近世史研究』8号),同「百姓一揆物語の伝承とその世界像」(『歴史評論』338号)
(川鍋定男)
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