世界大百科事典(旧版)内の佐藤範雄の言及
【金光教】より
…教線は,岡山県を中心に瀬戸内沿岸から,1875年(明治8)に大阪,明治10年代に京都,同20年代初頭に東京へと伸び,広く民衆を組織した。1879年金光萩雄が教導職試補となって布教の合法化をめざし,82年には佐藤範雄によって教団の組織化と教義教条の整備がはかられ,教祖没後の1885年に神道本局所属教会となって合法化を実現,独立への道を開いた。本部は岡山県浅口郡金光町にある。…
※「佐藤範雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」