世界大百科事典(旧版)内の倒蔣抗日の言及
【抗日戦争】より
…たんなる2国間の戦争としてではなく,民族革命戦争として中国革命の過程に位置づけられている。 1931年,日本の侵略戦争(満州事変)が開始されると中国共産党は倒蔣抗日の民族革命戦争の遂行を呼号し,東北で抗日の遊撃戦を組織したのをはじめ,33年にはチャハルの抗日同盟軍に参画するなど具体的行動をとった。江西根拠地の放棄と長征も北上抗日を名分としておこなわれ,陝西北部根拠地到着後はさらに河北,チャハルへの進出をめざした。…
【抗日民族統一戦線】より
…労働者,農民を主体とし,すべての抗日勢力を結集しようとするものであったが,中国国民党との和解・連合を具体的形態としたため第2次国共合作とも呼ばれる。〈満州事変〉(九・一八事変)以来,中共は倒蔣抗日の民族武装自衛運動を提唱したが,民族ブルジョアなど中間勢力を敵視する“下からの”統一戦線論のセクト性のため,運動を発展させられなかった。 1935年,日本の華北侵略が露骨化し,中国国民の危機意識が高まるなかで,中共は八・一宣言を発し国共内戦の停止と一致抗日を呼びかけて広範な支持を得た。…
※「倒蔣抗日」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」