借屋崎市(読み)かりやさきいち

世界大百科事典(旧版)内の借屋崎市の言及

【市場銭】より

…鎌倉時代以降,多くの荘園,公領内に定期市が開かれ,そこに出入りする商人がふえてくると,荘園領主,国司,地頭らは新しい財源として各種の市場銭を徴収するようになった。鎌倉末期,薩摩国入来院塔原郷内の借屋崎市は〈得分有るの地〉(《入来文書》)として,地頭渋谷一族の争奪の対象となり,蔵人所所属灯炉供御人や石清水八幡宮所属の大山崎油神人ら諸国を行商,回国する商工業者たちが市津料免除の特権を要求したのも,市場銭徴収傾向が一般化しつつあった状況を裏書きしているものといえよう。1334年(建武1)備中国新見荘東方地頭方内市場では,市場銭は商人別に課された弓(公)事銭,商品別に課された駄銭,販売座席料として課された借屋銭等に細分化されるようになっている。…

【市】より

…したがって,領地内に,大きな市が立つほどの交通の要衝をもった領主は,相当の収入源になった。薩摩入来院の領主渋谷氏は,借屋崎市について,〈領内に市あり,得分あるの地なり〉と,譲状に書いている。それゆえに領主は,市場に保護を加えるとともに,それを直接掌握下におこうとつとめた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」