偏依善導(読み)へんねぜんどう

世界大百科事典(旧版)内の偏依善導の言及

【法然】より

…ときに75年(安元1),法然43歳であった。こうして善導をみずからの思想と行動の軌範とする〈偏依(へんね)善導〉(ひとえに善導に依る)の姿勢を固めた法然は,善導流の念仏を修する遊蓮房円照(藤原通憲の一子)を西山の広谷にたずねるべく比叡山を下り,ほどなく広谷から東山大谷に移って住房を構えた。 当初,積極的な布教をしなかったが,1186年(文治2)(一説に1189年)天台宗の顕真が大原の勝林院に法然を招いて催したいわゆる〈大原談義〉ののち,その存在が知られるようになった。…

※「偏依善導」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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