偽学逆党籍(読み)ぎがくぎゃくとうせき

世界大百科事典(旧版)内の偽学逆党籍の言及

【偽学の禁】より

…1194年(紹熙5,朱熹65歳),地方官から皇帝の政治顧問官に昇進した朱熹が,外戚(皇后の親族)の韓侂冑(かんたくちゆう)の専横を批判したのが事の起こりである。韓侂冑とその一派は,当時〈道学〉と呼ばれていた朱熹の新しい学問を〈偽学〉と貶称し,そのグループを〈偽党〉さらには〈逆党〉と呼んでそのブラック・リスト(偽学逆党籍)を作り,かれらの任官の道を閉ざし,その著述および六経・四書の流布を禁じた。朱熹斬るべしという声はあったものの,彼自身は免職で済んだが,彼の友人や同調者のなかには流刑に処せられる者があいつぎ,罪に問われる者59人に及んだ。…

※「偽学逆党籍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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