世界大百科事典(旧版)内の元弘の碑の言及
【板碑】より
…また,板碑の形態が何を起源にしているかについても諸説があってはっきりしていないが,五輪塔の形態が転化したものとする説がもっとも有力で,また板碑の銘文の中に,その板碑が五輪塔として作られたということを意味する文章が含まれた例もある。 板碑造立者は鎌倉時代には在地領主層がほとんどで,埼玉県入間市円照寺の丹党加治氏造立の一連の板碑,東京都東村山市徳蔵寺の飽間斎藤氏の一族の戦死者供養のためのいわゆる〈元弘の碑〉や,青森県弘前市長勝寺の嘉元4年(1306)銘梵鐘にも名前が見え,御内人と考えられる源光氏の造立による弘前市中別所の正応1年(1288)銘板碑などはその例である。しかし,15世紀後半以降,とくに関東地方では,月待や庚申待などの民俗行事にともなって農民たちが一結衆を構成して造立する供養塔が板碑として作られる例が多くなる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」