《光琳百図》(読み)こうりんひゃくず

世界大百科事典(旧版)内の《光琳百図》の言及

【酒井抱一】より

…1809年(文化6)下谷金杉大塚村の雨華庵へ転居,以後ここを制作の本拠地とした。15年光琳百年忌に際して遺墨展を開催して顕彰,その成果を《光琳百図》にまとめ,同時に《尾形流略印譜》も出版し,これを契機として本格的に絵画制作へと向かった。また23年(文政6)尾形乾山の墓碑を巣鴨の善養寺に発見し,《乾山遺墨》を編集した。…

※「《光琳百図》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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