《公余探勝図》(読み)こうよたんしょうず

世界大百科事典(旧版)内の《公余探勝図》の言及

【谷文晁】より

…1788年(天明8)田安徳川家に出仕して五人扶持となり,同年長崎に遊学して清人張秋谷に文人画を学んだ。92年(寛政4)には白河侯松平定信付となり,翌年3月から4月にかけ定信の江戸湾岸巡視に随従して《公余探勝図》を制作した。遠近法を採用し,描線は銅版画のそれに倣い,明暗法を多用するなど,西洋画学習の成果がみられる。…

※「《公余探勝図》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

1 多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を...

辞書の用語解説を読む