世界大百科事典(旧版)内の六条修理大夫の言及
【藤原顕季】より
…1095年院の賀茂祭見物のため3日で桟敷を作り,1104年仁和寺新堂に独力で9体の丈六阿弥陀像を安置し,人々を驚かしている。家が六条烏丸にあったため六条修理大夫と呼ばれ,和歌に秀で,社会的地位を背景に歌壇でも重きをなした。家集に《六条修理大夫集》がある。…
【六条家】より
…平安後期・中世の歌道家。北家藤原氏の総継(ふさつぐ)の流れをくむ藤原顕季(あきすえ)は京都六条烏丸に住んで六条修理大夫と呼ばれ,その家系を六条家という。顕季は歌才もあり歌壇で重んじられ,1118年(元永1)に源俊頼(としより),藤原顕仲(あきなか)らを招き人丸影供(ひとまるえいぐ)を催している。…
※「六条修理大夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」