《兵法三十五箇条》(読み)ひょうほうさんじゅうごかじょう

世界大百科事典(旧版)内の《兵法三十五箇条》の言及

【五輪書】より

…1643年(寛永20)から45年(正保2)5月,死の直前にかけて,肥後の地,岩戸山にこもって書き上げたといわれるが,武蔵の自筆本が現存せず,成立について疑問は残る。しかし《五輪書》は,1641年客分として仕えていた熊本藩主細川忠利に,兵法の見立て,心持ちについて書き上げた《兵法三十五箇条》を敷衍(ふえん),肉付けしたものであり,武蔵の兵法観,武芸観をまとめたものであることに変りはない。【中林 信二】。…

※「《兵法三十五箇条》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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