世界大百科事典(旧版)内の内外通信社の言及
【大橋佐平】より
…他方,《日本之輿論》を刊行して書籍出版にも進出,90年に書籍雑誌販売業東京堂を創業した。93年欧米視察に出発,ロイター通信社を訪問,通信の取次を約束して帰国,94年に内外通信社を設立した。95年に13種あった雑誌を廃刊,新たに《太陽》《少年世界》《文芸俱楽部》を創刊,糾合合併して発展にそなえた。…
【博報堂[株]】より
…初期には当時の大出版社博文館の出版広告を取り扱ったこと,《東京朝日新聞》が1905年1月から第1面を全面にわたって出版広告にあてたときその取扱いをまかされたこと,などが成長の基盤となったとされている。1910年7月,博文館の経営していた小説・文芸ニュースなどを地方紙に配信する内外通信を譲り受けて通信業をも兼営し,社名も内外通信社広告部博報堂と改めた。しかし第2次大戦後,通信業部門は廃止し,同時に出版広告以外の分野の広告にも進出し総合的な広告会社へと転換して発展をとげ,取扱高で電通に次いで第2位,世界でも1996年現在,売上高で7位,売上総利益で4位を占めるにいたっている。…
※「内外通信社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」