内藤盛信(読み)ないとうもりのぶ

世界大百科事典(旧版)内の内藤盛信の言及

【周防国】より

…また懐良(かねよし)親王の忽那(くつな)島滞在中には,周防大島の島末氏等はこれに忠勤を励んだ。49年(正平4∥貞和5)足利直冬が長門探題として下向すると内藤盛信は尾道に馳せ参じ,翌年尊氏の差遣した高師泰が石見に入ると,大内弘世・弘員が直冬方としてこれを討った。ついで観応の擾乱(じようらん)のころには大内氏本宗の弘世が直冬陣営に属して,尊氏・義詮陣営に属する長弘の子弘直と対立し,その本拠地鷲頭(わしず)方面に攻撃を加え,54年(正平9∥文和3)ころには南朝方として大内氏一族の統率権を握った。…

※「内藤盛信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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