《労働擁護論》(読み)ろうどうようごろん

世界大百科事典(旧版)内の《労働擁護論》の言及

【ホジスキン】より

…海軍に入ったが上官と衝突して辞め,大陸に渡り,帰国後急進派新聞の記者となった。1824,25年の団結法をめぐる紛争のなかで労働者の団結や賃金闘争を支持,労働者教育のためロンドン職工学校を設立するほか,《労働擁護論》(1825),《民衆経済学》(1827)などを著し,生産物は結局すべて労働が生みだすので労働者は全生産物を受けとる権利があるという,有名な労働全収権論を説いたが,トムソンWilliam Thompson(1775‐1833)らのオーエン主義者には同調しなかった。のちには《エコノミスト》誌にもしばしば投稿した。…

※「《労働擁護論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む