世界大百科事典(旧版)内の動力揚水機の言及
【灌漑】より
… 1河川の流域に幾十かのせきが乱立し,それらの築造費のむだはもちろん,下流ぜきは上流ぜきからの漏水に頼り,あるいは上流ぜき側の恩恵的厚意に頼っていたような非合理な面もあったが,この場合,合口と呼ぶ,多数のせきを廃して最上流の優れた地点に合同ぜきを設け,種々の条件を近代的に考慮して関係村々への配水が,諸大河川に多く行われるようになったのは大正末以降の進歩である。 明治以後における灌漑の発達は,国,都道府県による大規模な治水事業の発達,取入口や用水路工事のコンクリート工法の採用(大正期末,長野県梓川流域の合口もこの早いものの一つ),動力揚水機の発達(佐賀・福岡両県下有明海のクリークからの揚水は,永い間の人力による踏車から,大正年間に電力揚水に変わった),用水管理のための諸法律の改正や,国・府県の関与・推進の面において著しいものがある。用水の管理は明治以後もなお旧来の慣習下に置かれたものが多かったが,明治以降水利土功会が生まれ,1898年の普通水利組合法の制定,第2次大戦後の1949年の土地改良法による土地改良区の組織などは著しい変化である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」