勧学院歩(読み)かんがぐいんのあゆみ

世界大百科事典(旧版)内の勧学院歩の言及

【勧学院】より

…これらの学生からは多数の学者や官人が出て藤原氏の勢力発展を助けた。また藤原氏から摂関大臣が出たり,氏の女性の立后などの慶事があると,勧学院の職員や学生代表がその邸に祝賀のために参入する勧学院歩(かんがくいんのあゆみ)という行事もあり,天皇元服に際して同時に勧学院小学生も元服させてこれを宮中に引見するという特別な待遇を受けることもあった。 勧学院の経済は,最初冬嗣が自分の封戸1000戸を割いて寄付し,以後藤原氏出身の大臣は封戸若干を寄付する例となったが,封戸の制度がしだいに行われなくなると,諸国の荘園が有力な財源となったと思われる。…

※「勧学院歩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む