世界大百科事典(旧版)内の《化学要論》の言及
【化学】より
…この事実に基づき,ラボアジエは物質の燃焼が空気中の酸素との化合であることを示した(1784)。ラボアジエは彼の燃焼理論を基礎として,きたるべき世代の化学者のための教科書《化学要論》2巻(1789)を出版した。この本は物理学のなかでニュートンの《プリンキピア》が占めているものと同じ位置を占めているといわれている。…
【科学教育】より
…ガリレイがその天文学や力学上の諸発見を発表した《天文対話》(1632)や《新科学講話》(1638)は,啓蒙的,教育的な性格を備えており,当時の国際的な学問用語のラテン語でなく,イタリア語で書かれていた。ニュートンの《プリンキピア》(1687)は例外だが,ニュートンの《光学》(1704)やラボアジエの《化学要論》(1789)が英語,フランス語で書かれたのも,教育,啓蒙と研究の一体感の現れである。
[発展]
近代科学は19世紀半ばごろまでほとんど大学に迎え入れられることがなかった。…
※「《化学要論》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」