世界大百科事典(旧版)内の北ドイツ・ロイド汽船の言及
【海運業】より
…しかし1850年代以降,汽船にまず連成機関が採用され,推進方式も外輪からスクリュープロペラに,また船体素材も木から鉄,さらに鋼へと進歩すると,汽船航海の規則性は著増し,運航費も激減し,汽船による定期航路網が急速に拡大した。 とくに大西洋海底電線(1858),スエズ運河(1869)の開通にたすけられ,イギリスのP&Oやブルー・ファンネル・ラインのみでなく,フランスのメサジュリー・マリティーム会社(現,ジェネラル・マリティーム会社)やドイツの北ドイツ・ロイド汽船会社(NDL。現,ハパーク・ロイド会社)なども極東やオーストラリアに航路を延長し,大西洋航路でもアメリカのコリンズ・ラインやドイツのハンブルク・アメリカ汽船会社(HAPAG。…
【ハパーク・ロイド[会社]】より
…ドイツ最大の定期船会社。同国の二大定期船会社ハンブルク・アメリカ郵便船会社(略称ハパーク)と北ドイツ・ロイド汽船会社が1970年に合併して創設された。合併前のハパーク(1847年創立)と北ドイツ・ロイド(1857年創立)はともに歴史が古く,ヨーロッパからアメリカへの移民輸送で栄え,第1次世界大戦までは世界の定期航路でイギリス船社と覇権を争っていた。…
※「北ドイツ・ロイド汽船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」