北条政顕(読み)ほうじょう・まさあき

朝日日本歴史人物事典 「北条政顕」の解説

北条政顕

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:文永6(1269)
鎌倉末期の鎮西探題。鎮西探題金沢(北条)実政の子。掃部助,上総介。父が出家したため,その後任として正安3(1301)年11月2日鎮西探題に就任肥前,肥後,豊前各国守護も兼帯した。在任期間15年におよび,神領興行令による相論に対する裁許状をはじめ85通の裁許状を発給している。その間侍所所司北条宗方の陰謀事件との関連で,嘉元3(1305)年から延慶2(1309)年までの約4年間は裁許状を発給していない。正和5(1316)年鎮西探題を辞任。<参考文献>瀬野精一郎『鎮西御家人の研究

(瀬野精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条政顕」の解説

北条政顕 ほうじょう-まさあき

金沢政顕(かねざわ-まさあき)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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