北沢種一(読み)きたざわたねいち

世界大百科事典(旧版)内の北沢種一の言及

【郷土教育】より

…このような郷土教育は,郷土すなわち身近な生活の場に教材を発見し,それを授業に利用するという教育方法に重点がおかれたものであった。ところが1920年代から30年代のドイツにおける郷土科Heimatkunde設置の影響をうけて,日本においても,北沢種一らの労作・体験・直観などの原理から郷土を重視する主張と,地理学者小田内通敏や志垣寛らによる〈土地と勤労と民族の三つの複合体〉としての郷土の科学的把握と調査に基づいた学習を主張する郷土教育連盟の運動があった。この背景には,世界恐慌などの影響による農村窮乏化の救済という問題意識がある。…

【労作教育】より

…この教育運動の有力な推進者であるG.ケルシェンシュタイナーは,労作教育を共同体や国家に貢献する人間形成のための重要な活動としてとらえ,手工的労作のみならず,自由な自己活動による精神的労作との協働を主張した。日本では1922年からの欧米留学から帰国した北沢種一(1880‐1931)が東京女子高等師範学校の付属小学校に労作教育を全面的にとりいれた。毎日午後を作業時間にあてて社会的活動や共同作業を行い,児童の個性伸長をはかった。…

※「北沢種一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」