世界大百科事典(旧版)内の北畠守親の言及
【霊山神社】より
…福島県伊達郡霊山町大字大石に鎮座。北畠親房,顕家,顕信,守親をまつる。建武中興にあたり,北畠親房は長男顕家とともに陸奥守に任ぜられて,義良親王を奉じて下向,霊山に本拠を構えてその任にあたったが,足利尊氏の叛で西上,顕家の戦死後次男顕信がその子守親とともに霊山に下り,奥羽経略にあたった。明治初年,当時福島県御用係をつとめた米沢藩儒中川雪堂らが,その神社創建を提唱,地元民とともに1879年請願し許可を得,翌年よりもと支城があったと伝承される現在地に社殿を造営,81年完成,85年別格官幣社に列せられた。…
※「北畠守親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」