世界大百科事典(旧版)内の北直隸の言及
【河北[省]】より
…元の次の明では初め都は今の南京におかれたが,まもなく今の北京に移り,清に受けつがれて京師といわれた。本省の地域は明では北直隸として中央に直属し,清では直隸省となり,中華民国まで続いた。1927年に至り初めて河北省と改め,省都が保定におかれたのである。…
【明】より
…モンゴル族の支配した元朝を打倒して,朱元璋が創建した漢民族による王朝。1368‐1644年。
【王朝の創建と政治】
元朝の末期,政治の混乱に乗じてモンゴル人の支配に反抗する群雄が各地に割拠したが,なかでも明教,白蓮教を奉ずる紅巾軍が最大の勢力であった(紅巾の乱)。その中から身を起こし,金陵(後の南京)を根拠として,西の陳友諒,東の張士誠らの強敵を下し,1368年明朝を建てて帝位についたのが朱元璋で,年号によって洪武帝とよばれる。…
※「北直隸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」