世界大百科事典(旧版)内の北鮮ルート論の言及
【咸鏡道】より
…1930年代には蓋馬高原の水力を利用した大型発電所が建設され,これを背景に各種の化学工業,金属工業が沿岸の咸興,清津に発達し,北朝鮮の重化学工業地帯を形成した。これらは,おおむね日中戦争のための軍需物資を供給する兵站(へいたん)基地となり,これを重視する立場は〈北鮮ルート論〉と呼ばれた。独立後朝鮮民主主義人民共和国は咸鏡北道の中心都市である清津,咸鏡南道の咸興を拡大して直轄市に昇格させる一方,蓋馬高原を中心とする地域を咸鏡南道から分離して両江道を設立するなど本道を行政的には2直轄市,3道に分割した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」