匯豊銀行(読み)わいほうぎんこう

世界大百科事典(旧版)内の匯豊銀行の言及

【上海】より

…茶の貿易だけはしばらく広州のほうが上回っていたが,太平天国の乱がおこるとともに広州の交易は不可能となり,すべての面で中国第一の国際貿易港となった。そして商業活動の活発化とともに金融資本が進出し,1849年にすでにオリエンタル・バンキング・コーポレーション(東方銀行・麗如銀行)が設けられたのをはじめ,1865年(同治4)にはのちに上海で最大の銀行となるホンコン・アンド・シャンハイ・バンキング・コーポレーション(匯豊銀行)が設けられた。これらは先の各商社と結びついてできたもので,さらに航運港湾業,不動産業,鉄道業,紡績業,木材業等,多様な事業に投資して関連企業群をなし,巨大な金融資本となって中国経済に大きな力をふるった。…

【対華投資】より

…イギリス資本の中には,中国や香港に本拠を置く大商社も多く,かつ,製造業や港湾事業などに投下された固定資本の額も大である。貿易業における怡和(いわ)洋行Jardine,Matheson & Co.(ジャーディン・マセソン会社),航運業における太古洋行Butterfield & Swire Co.,金融業における匯豊(わいほう)銀行Hongkong & Shanghai Banking Corporation,新沙遜(しんさそん)洋行E.D.Sassoon & Co.がその中心であった。さらに,権益確保や借款の担保である海関税を管理するなど中国財政に対する大きな影響力を持った。…

【香港上海銀行】より

…1865年(同治4),東アジア地域の交易に資するため,イギリスを中心とする有力な在華外国商社が香港において開業した銀行。中国名は匯豊銀行。香港,上海,横浜,シンガポールを中心に為替業務から出発したが,70年代以降清朝政府に対する借款も取り扱い,外国諸銀行の中で回数,総額ともに最大である。98年(光緒24)にはジャーディン・マセソン会社と共同して,鉄道投資を目的とする投資会社中英公司The British and Chinese Corporationを設立した。…

※「匯豊銀行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android