世界大百科事典(旧版)内の《医範提綱》の言及
【亜欧堂田善】より
…のち定信から銅版画(エッチング)の研究を命ぜられ,はじめ司馬江漢についたが,やがて定信周辺の蘭学者の協力を得て,江漢とは別途に銅版画や油絵の技法を習得した。彼は輸入西洋銅版画を写して画技をみがき,その模刻を行い,宇田川玄真著《医範提綱》(1808)の銅版挿絵,銅版《新訂万国全図》(1810)のような実用面の仕事もした。しかし,彼の本領は大小多数の銅版江戸名所風景図にあり,その洋風画法と銅版術は江漢より進歩している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」