十二月テーゼ(読み)じゅうにがつてーぜ

世界大百科事典(旧版)内の十二月テーゼの言及

【朝鮮共産党】より

…国外の満州総局・日本総局(日本部を改称)も数回にわたる弾圧を受け,残った活動家も30年以降は中国共産党,日本共産党に入ることになった。
[再建運動]
 コミンテルンは朝共の承認を取り消したうえで1928年12月〈朝鮮問題に関する決議〉(十二月テーゼ)を発表,労農大衆を基礎とする党再建を指示し,朝鮮内ではこれにもとづいて再建の試みが解放まで続けられた。有名な再建運動に,34‐36年の李載裕を中心とする〈党再建ソウル準備グループ〉,39‐41年の朴憲永らによる〈ソウル・コムグループ〉があるが,激しい弾圧と分派の未解消のため党再建はならなかった。…

※「十二月テーゼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む