世界大百科事典(旧版)内の十二月事件の言及
【ゴムルカ】より
…ポーランドの政治家。正しくはゴムウカと呼ぶ。ジェシュフ県クロシノの工員の家に生まれる。錠前工として出発し,労働組合運動に参加,1926年に共産党に加入。26,32‐34,36‐39年投獄される。1934‐36年ソ連に留学。39年ドイツ軍のポーランド侵入とともにソ連に逃れる。42‐44年国内で共産党系の抵抗運動を指導。1943年ポーランド労働者党(共産党の後継組織。現,統一労働者党)書記長,45年臨時政府副首相兼再獲得領土相として共産党政権の確立に貢献する。…
【ポーランド】より
…経済は改革の機を逸し,停滞気味となった。外交面で70年12月に西ドイツとの国交が正常化され,宿年の領土問題が解決されるというプラスがあったものの,同じ月に食糧品値上げに反対するバルト海沿岸都市労働者の暴動が起こり(〈十二月事件〉),その余波でゴムウカ政権は崩壊した。(4)1970‐80年 70年代は対外開放政策と反体制派の活動黙認を特徴とするが,制度の根幹にはなんら手が触れられなかった。…
※「十二月事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」