千仙叟(読み)せんのせんそう

世界大百科事典(旧版)内の千仙叟の言及

【裏千家流】より

…千利休を開祖とする茶道の流派の一つ。利休の孫宗旦が不審庵を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北の隣接地に今日庵,寒雲亭さらに又隠(ゆういん)を建てて移り住み,それが末子仙叟に譲られたことにより裏千家が成立。現在の15世に至るまで,代々宗室を名のっている。明治以後,裏千家では職場を中心にした婦人層と女学校への茶の湯普及につとめ,茶道人口の増大を図ったほか,現在では海外への茶道普及にも力を注いでいる。 利休から数えて4世にあたる仙叟宗室は,はじめ医師を志して野間玄琢に師事し,玄室と称していたが,玄琢の死後千家に戻り,のち加賀藩主前田利常の茶道茶具奉行として仕えるところとなった。…

※「千仙叟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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