南岳慧思(読み)なんがくえし

世界大百科事典(旧版)内の南岳慧思の言及

【末法思想】より

…エフタルのミヒラクラ王による猛烈な仏教迫害をこうむった西北インドの地から,556年(天保7)にはるばると鄴に到着したナレンダイヤシアは,世はすでに末法時代に入って久しいことを説いた。また558年には,正像末の3時期区分つまり末法思想を,中国人として初めて明確に表明した南岳慧思の《立誓願文》が執筆された。このように中国で末法思想が展開しはじめたばかりの時期の574年(建徳3)に,北周の武帝は三武一宗の法難の第2回目とされる仏教への大弾圧を行い,経像を破壊し僧侶を還俗させ,翌年には北斉攻撃の軍をおこして,577年に滅ぼし,ただちに旧北斉領に廃仏を断行したのである。…

※「南岳慧思」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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