南斎塩(読み)なんさいじお

世界大百科事典(旧版)内の南斎塩の言及

【撫養塩田】より

…のち,同塩の名声が高まとともに,各地に同名を称するものができたので,それと区別するため本斎田塩とも称した。なお徳島藩領では,1620年(元和6)名東郡の徳島城下付近,また36年(寛永13)那賀郡答島村に塩田が開かれたが,本斎田塩に対して前者の産塩を徳斎塩,後者の産塩を南斎塩と呼んだ。 江戸には元和ごろから下り塩が流入しはじめるが,その中心は斎田塩であった。…

※「南斎塩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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