《博多織恋》(読み)はかたおりこいのおもに

世界大百科事典(旧版)内の《博多織恋》の言及

【菅専助】より

…その後3年間は菅専助として4作を書く一方,光太夫の名も太夫連名に記されているが,70年からは作者活動に専念,もっぱら此太夫のために続々と作品を書いている。80年(安永9)ころ,いったん引退して京都に居を移したが,このころ衰微の傾向にあった豊竹此吉座が,89年(寛政1)5月,5年ぶりで北堀江市の側に復帰したときに,再び筆をとって《博多織恋(はかたおりこいのおもに)》を書いた。しかし91年6月の《花楓都模様(はなもみじみやこもよう)》を最後に,以後はまったく筆をとっていない。…

※「《博多織恋》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む