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卿二位 きょうのにい

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朝日日本歴史人物事典の解説

卿二位

没年:寛喜1.8.16(1229.9.5)
生年:久寿2(1155)
鎌倉前期の女房。従二位。刑部卿藤原範兼の娘。名は兼子。位階により卿二位と呼ばれる後鳥羽上皇の後見ともいうべき女房で,承久の乱(1221)以前は「京ニハ卿二位ヒシト世ヲ取タリ」(『愚管抄』)といわれたほどの権勢を振るった。叔父範季と姉範子が後鳥羽を養育したことから,その幼少時から密着した関係を築いた。『承久記』は卿二位を上皇の乳母と記すが,姉範子が乳母であって,卿二位が乳母であったことを示す確実な証拠はなく,実際にはそうではなかったと思われる。養女重子(修明門院,範季の娘)は上皇の寵妾となって第3皇子守成(順徳天皇)を生んだ。守成は正治1(1199)年,3歳で上皇の御所に引き取られるまで,卿二位に育てられたと思われる。そのころから彼女は急速に力を持ち始め,同年1月に典侍となり,その2年後,従三位に叙された。正治2年に守成が東宮に冊立されたのちは,土御門天皇外祖父源通親に代わって,朝廷の中心的存在となった。摂関をはじめ上級貴族と院との交渉をほとんど取り次ぐなど,重要案件の取り次ぎ役として院の深奥部を握った。またそうした立場から人事権を掌握し,猟官運動を繰り広げる貴族から多大の賄賂を得た。正治1年ごろ院の近臣藤原宗頼と結婚。宗頼は院の執事別当となったが,建仁3(1203)年1月に死去。その年のうちに,太政大臣大炊御門頼実と再婚。頼実を院の後見として,夫妻でその政治の顧問となった。また後鳥羽の皇子で自らが養育した頼仁親王を,将軍源実朝の後継者として東下させる約束を北条政子と交わすなど,政子と共に朝幕協調関係を推進した。<参考文献>五味文彦「聖・媒・縁―女の力―」(『日本女性生活史』2巻)

(秋山喜代子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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