《原田日記》(読み)はらだにっき

世界大百科事典(旧版)内の《原田日記》の言及

【原田熊雄】より

…戦時体制が進むと木戸・近衛と疎隔したが,敗戦直前には終戦工作にあずかり憲兵の迫害も受けた。1930年から40年秋の西園寺の死まで彼が見聞した政界上層部の情報を近衛泰子に口述筆記させた,いわゆる〈原田日記〉は,死後〈《西園寺公と政局》〉として公刊され,昭和史の貴重な資料となった。【今井 清一】。…

【原田豊吉】より

…原田はその後結核にかかり,当時最新のR.コッホのツベルクリンによる治療を受けるため91年ドイツに赴き入院したが,翌年帰国,93年地質調査所長を辞任。なお洋画家原田直次郎は実弟,《西園寺公と政局》(原田日記)で知られる政治家原田熊雄(1888‐1946)は長男である。【清水 大吉郎】。…

※「《原田日記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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