世界大百科事典(旧版)内の古七大夫の言及
【喜多七大夫】より
…江戸浅草九品寺に葬られ,京都生蓮寺に分骨された。後世,この初世を〈古七大夫〉と呼ぶこともある。(2)七大夫宗能(むねよし)(1651‐1731∥慶安4‐享保16) 3世。…
【喜多流】より
…また新興流派の繁栄は旧習を守ろうとする他座の反感を買い,たとえば,1658年(万治1)2世十大夫当能の京都における5日間の勧進能の盛況ぶりに対し,〈新流で習いを知らぬ〉などと非難されたことが秋扇翁の《舞正語磨(ぶしようごま)》に見える。歴代の大夫は,12世まで,家元の通名として喜多七大夫と十大夫を交互に用いており,後世,流祖七大夫を特に〈古七大夫〉と呼ぶこともある。歴代の家元のなかでは,流祖,2世十大夫当能,3世七大夫宗能,9世七大夫古能,14世六平太能心(喜多六平太)などが著名で,初世の長男で2世の実兄の左京直能(寿硯)も名高い。…
※「古七大夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」