可否茶館(読み)かつひーさかん

世界大百科事典(旧版)内の可否茶館の言及

【コーヒー】より

… 日本でコーヒーが飲まれるようになったのは明治以後のことになる。初めはごく限られた人々の間で飲まれていたが,1888年東京上野黒門町に可否茶館(カツヒーさかん)が開店してはじめてコーヒーを飲ませ,1911年東京銀座にカフェー・プランタンやカフェー・パウリスタが開業,とくに後者がブラジルコーヒーの宣伝につとめた結果,だんだん一般に広まるようになった。喫茶店
[インスタントコーヒー]
 第2次大戦前の日本では,家庭でコーヒーを楽しむというのは,きわめてまれなことだったが,今はそれがごくあたりまえのことになった。…

【カフェ】より

…このように,カフェは,ヨーロッパ文化史の縮図である。【二宮 宏之】
[日本のカフェー]
 日本最初のコーヒー店は1888年(明治21)4月に東京下谷黒門町に開店した可否茶館だが,カフェとかカフェーを称する店の出現は1911年のことになる。その年の春まず銀座日吉町にカフェ・プランタンが開かれ,続いて8月に銀座尾張町角にカフェ・ライオン,11月に南鍋町にカフェ・パウリスタが開店した。…

【喫茶店】より

…【奴田原 睦明】
[日本]
 ヨーロッパの清涼飲料を飲ませる店であるソーダファウンテン,パリのコーヒーを飲ませる店のカフェをまねたのが,日本での喫茶店のはじまりであった。1888年(明治21)東京下谷黒門町にカフェをまねた〈可否茶館〉が開店したが,これは時期が早すぎて客の入りが少なく,すぐに閉店した。1911年東京銀座南鍋町に開店したカフェ・パウリスタをはじめとして,明治の末に東京や大阪の盛場にコーヒー等を飲ませる店としてカフエができた。…

※「可否茶館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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