世界大百科事典(旧版)内の史量才の言及
【申報】より
…最高時35年ごろの発行部数はともに15万。1912年に経営が中国人にうつり,社長に任じた史量才(1878‐1934)は34年11月に抗日分子のかどで暗殺された。申報社が1884年(光緒10)に創刊した《点石斎画報》は画報の嚆矢(こうし)として著名だし,《申報年鑑》の刊行等,同社が出版文化に果たした役割は大きい。…
※「史量才」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…最高時35年ごろの発行部数はともに15万。1912年に経営が中国人にうつり,社長に任じた史量才(1878‐1934)は34年11月に抗日分子のかどで暗殺された。申報社が1884年(光緒10)に創刊した《点石斎画報》は画報の嚆矢(こうし)として著名だし,《申報年鑑》の刊行等,同社が出版文化に果たした役割は大きい。…
※「史量才」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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