合同ナショナリスタ党(読み)ごうどうなしょなりすたとう

世界大百科事典(旧版)内の合同ナショナリスタ党の言及

【ナショナリスタ党】より

…この間,オスメーニャ,ケソンの二大巨頭の指導権争いから,1922年と34年の2度にわたって大規模な分党騒ぎがあったが,いずれも暫時にして再統合された。しかし1922年以降,党の指導権はオスメーニャからケソンの手に移り,またこれ以後35年までは合同ナショナリスタ党Partido Nacionalista Consolidadというのが党の正式名称であった。45年12月にロハスらが離党して翌年リベラル党を設立し,第2次大戦後のフィリピン政治は両党の政権交替劇で展開されたが,72年の戒厳令で政党活動が禁じられたため,事実上の解党となった。…

※「合同ナショナリスタ党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む