吉備嶋皇祖母命(読み)きびのしまのすめみおやのみこと

朝日日本歴史人物事典 「吉備嶋皇祖母命」の解説

吉備嶋皇祖母命

没年皇極2.9.11(643.10.28)
生年:生年不詳
欽明天皇の子桜井皇子の娘。若いときは吉備姫王といった。嶋皇祖母命(敏達天皇皇女)は別人である。敏達天皇の孫茅渟王の妃となり,皇極(斉明),孝徳天皇を生んだ。名前からみて奈良県高市郡明日香村の嶋宮に住んだものらしい。病に臥してからは,皇極天皇が床の側に添い従って看病し続けたという。墓は,『延喜式』によれば檜隈墓とあり,明日香村大字平田字ムネの檜隈坂合陵南西円墳に比定されている。だが,陵の東方にある鬼の俎・鬼の雪隠古墳に比定する説もある。『日本書紀』には檀弓岡に葬るとあり,明日香村真弓から高取町佐田にかけて真弓丘が現存している。のちに檜隈墓に改葬したものか。

(明石一紀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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