吉備津彦(読み)きびつひこ

世界大百科事典(旧版)内の吉備津彦の言及

【吉備】より

…文献には吉備勢力の活躍を伝える記事が少なくない。《日本書紀》崇神10年条の四道将軍の一人として吉備に派遣されたという吉備津彦も,その人名からすると吉備の代表的王者であった可能性があり,景行(天皇)や日本武(やまとたける)は婚姻を通じて吉備と密接な関係にあった,と考えられる。《日本書紀》雄略7年条には吉備下道前津屋(さきつや),吉備上道田狭(たさ),清寧即位前紀には吉備稚媛の子の星川皇子の反乱の伝承があり,いずれも王権簒奪への志向性が認められ,吉備勢力の強大さを物語る。…

【吉備津神社】より

…備中国の一宮,また吉備国の総鎮守ともいう。備前一宮の吉備津彦神社と備後一宮の吉備津神社は,ともに当社からの分社と伝える。崇神天皇のときの四道将軍の一人として吉備に派遣されたという大吉備津彦命とその一族をまつり,古代吉備氏の氏神として栄えた。…

【吉備津彦神社】より

…備前国の一宮,もと国幣小社。祭神は,備中の吉備津神社と同じく,吉備氏の氏神の大吉備津彦(おおきびつひこ)命で,その分社と推定される。吉備の中山の東麓に鎮座し,古代から備前第一の大社として崇信を集めた。…

【四道将軍】より

…崇神天皇が支配圏を拡大するため四方に遣わしたとする皇族将軍の総称。《日本書紀》崇神10年9月条に大彦命を北陸(くぬがのみち)に,武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海(うみつみち)に,吉備津彦(きびつひこ)を西道(にしのみち)(山陽)に,丹波道主(たにわのちぬし)命を丹波(山陰)に遣わし,服従しない者は武力をもって討伐することを命じたと見える。《古事記》には吉備津彦派遣のことが欠けているが,孝霊段に大吉備津日子命と若建吉備津日子命が吉備国を平定したことが見える。…

※「吉備津彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android