吉川経義(読み)きっかわつねよし

世界大百科事典(旧版)内の吉川経義の言及

【吉川氏】より

…駿河出身の中世武家。姓は藤原,南家武智麻呂の四男乙麻呂の後裔。乙麻呂11代の孫維清は,駿河国入江に住して入江氏を称す。吉川氏の始祖経義は,維清の玄孫で入江の吉川の地に住し,はじめて姓を吉河(または吉香)と称し,源頼朝に従属した。朝経のとき播磨国福井荘を充行われた。経光は承久の乱で北条氏に属したが,1221年(承久3)6月の宇治橋の合戦の功により安芸国大朝荘(広島県山県郡)の地頭職に補任された。その子経高は1313年(正和2)駿河国入江荘吉川邑より大朝荘に下向した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」