《吉槐記》(読み)きっかいき

世界大百科事典(旧版)内の《吉槐記》の言及

【吉田定房】より

…建武中興とともに父祖を越えて内大臣に任ぜられ,南北両朝の併立期には北朝に仕えのち南朝に走り,吉野に没した。その日記を《吉槐記(きつかいき)》といい,正応6年(1293)正月記,乾元1年(1302)8月記,同2年正月・2月記,嘉元3年(1305)閏12月記,徳治1年正月記が残存するにすぎないが,定房の有職故実に関する言動や日記を,弟の隆長が編纂したものに《吉口伝(きつくでん)》一名《夕郎故実》がある。また《新後撰集》《続千載集》《続後拾遺集》《新葉集》《臨永集》などの和歌集に,その和歌が収められている。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」