《吉黄記》(読み)きっこうき

世界大百科事典(旧版)内の《吉黄記》の言及

【勧修寺家】より

…なお江戸時代には同家に,甘露寺,葉室,万里小路(までのこうじ),清閑寺,中御門(なかみかど),坊城,芝山,池尻,梅小路,岡崎,穂波,堤の諸家を加えた13家を総称して勧修寺家ともいい,当時の名家の過半を占めた。また勧修寺一門の廷臣は,為房の《大記》をはじめ,経房の《吉記》,経俊の《吉黄記》,経長の《吉続記》など,重要な日記を多く残しており,その記述は実務官僚としての一門の性格をよく反映している。現在京都大学文学部に蔵する〈勧修寺家文書記録〉には,為房の自筆日記をはじめ,近世に至る貴重な文書や記録を収めているが,経房,資経,経俊,定資,経顕の各遺領処分状には,合わせて20ヵ所前後の所領が載せられている。…

【経俊卿記】より

…正二位中納言藤原経俊(1214‐76)の日記。《吉黄記》《吉礼記》などの異称がある。1237年(嘉禎3)から76年(建治2)までの鎌倉時代中期の公家日記である。…

※「《吉黄記》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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