世界大百科事典(旧版)内の同和行政の言及
【被差別部落】より
…また,中央融和事業協会を中心に統一されて活動してきた他の融和団体は,41年6月,政府によって新たに〈同和奉公会〉に組織替えされ,すでに1940年8月の第16回大会を最後の大会として,それ以降はめだった活動もみられなかった各地の水平社組織の活動家たちも,少なからずこれに参加していった。この改組は,〈融和運動〉を国の行政と一体化した形で拡大・浸透させ,前年の10月に結成されていた官製の国民統制組織たる〈大政翼賛会〉と並存させるのを目的としたもので,全国各地の支部の運営には市町村長・町内会長・学校長・各種団体長・僧侶・神官などが充てられ,行政主導型の組織活動が行われたのであるが,戦時下における関係予算の実質的減少という事態のなかでは,被差別部落大衆の物質的・精神的な支えとして,軽視できない意義を担ったのみならず,その経験の数々は戦後の部落解放運動・同和行政にも多大の教訓を残したとみてよいであろう。 このような時代の趨勢のなかで,1941年12月8日,日本は〈太平洋戦争〉に突入,その直後には,〈言論・出版・集会・結社等臨時取締法〉が施行され,水平社関係団体も取締りの対象とされたが,水平社は,政府からの求めをいれず解散声明を発しないまま,42年1月,自然消滅の形をとって創立以来20年の戦いの歴史に,いったん幕を下ろした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」